シャーロック・ホームズの冒険(海外ドラマ)について

名探偵ホームズ!コナン・ドイルの不滅の名作、海外ドラマお話と感想

サー・アーサー・コナン・ドイルについて

1859年5月22日、スコットランドのエディンバラにて労働事務所の書記、建築家そして画家である父親チャールズ・アルタモントと、母親メアリー・フォウリーの間に長男として生まれます。

父親は、素晴らしい家系でその職業をしているのとは裏腹に、アルコール依存症で悩んでいて、母親は、自らの偉大でロマンティックな祖先の家系にこだわりいざこざが少なくない家庭環境で少年時代を過ごしました。
イエスズ会のストーニーハースト校を卒業後、医学を学ぶためにエディンバラ大学へ進学します。

そこで出会った人物こそが、サー・アーサー・コナン・ドイルが原作の名探偵シャーロック・ホームズのモデルになったと言われているジョセフ・ベル博士です。ジョセフ・ベル博士は、初対面の人にささいな特徴からその人の症状や性格を言い当て、周囲の人々を驚かせていました。ジョセフ・ベル博士の意図は、医師として患者に対する正確な観察力とそれを習慣とする必要性、さらにそのことによって患者が医師に尊敬の念を抱き信頼を寄せると言う効果をもたらすことでした。

コナン・ドイルは、その後にジョセフ・ベル博士を思い出し、自らの小説の主人公にその特技をもたせると同時に、それに驚く立場の身近な人物として助手のワトスンを設定しました。

コナン・ドイルは、医師免許を取得後、船医として捕鯨船に乗り込むがすぐやめて、今度は、サウスシーの医院を開きますが、患者が滅多にこないので、有り余る時間を以前から興味を持っていた小説の執筆を本格的に始めます。執筆当初は、冒険小説の部類を書いていましたが、やがてひらめいたインスピレーションと大学の頃のジョセフ・ベル博士のことを照らし合わせ1886年に書き上げたのが、世界的に有名なシャーロック・ホームズのデビュー作となる長編「緋色の研究」です。

歴史に残る長編となるシャーロック・ホームズは、初めのうちは、何度もイギリスの出版社から掲載を断られてしまいます。しばらくしてから出版社に掲載し始めますが、それは、コナン・ドイルを満足させる条件ではありませんでした。結局、この作品を気に入ってホームズシリーズの執筆を依頼したのは、アメリカの雑誌「リピンコット」の編集長であったと伝えられています。こうしてつづく長編「四人の著名」が1890年に出版されました。

1891年には、イギリスの新雑誌「ストランド」から、ホームズを主人公とする短編の執筆依頼の手紙がが、コナン・ドイルドイルの元に届きます。この掲載によりコナンドイルとシャーロック・ホームズの名は一躍有名になりましたが、雑誌掲載時から挿絵として描かれていたホームズ作品のビジュアル・イメージといて印象の強いシドニー・パジェット氏のイラストですがシドニー・パジェット氏によって描かれているホームズの姿とコナン・ドイルの思い描いていたホームズの姿は、かなり違っているらしいです。

こうしてコナン・ドイルは、作家として成功を手に入れました。しかし、彼に富と名声をもたらした著作を彼自身は、文学的なものとは、考えていませんでした。その証拠に、コナン・ドイルがシャーロック・ホームズで活躍探偵小説以外に書いた作品は、少なくありません。推理小説とは違う、歴史小説やSFチックな冒険小説「失われた世界」などでは絶滅したはずの恐竜が生きていたというお話(ロスト・ワールドやジュラシックパーク2として映画化されましたね)など類に固定されない、様々な分野の小説を書いています。コナン・ドイル本人も本当に書きたがっていたのは、シャーロック・ホームズではなく、そういう冒険ものなどの小説だったと言われています。

その他にも、イギリスの帝国主義的な行動が世界中から非難をあびたボーア戦争に対するイギリスの政治的立場について書いた政治的著作に関する本を出して、その功績をたたえられて1902年にナイトの称号を受けています。

執筆に疲れたこともあり、「最後の事件」いう題名にして、ホームズを宿敵モリアーティ教授と対決し、共にライヘンバッハの滝から落ちて沈めることでシャーロック・ホームズシリーズの終止符を打とうとしますが、それを掲載するとすぐにファンの熱狂的な抗議と要望がコナン・ドイルによせられます。結局、根負けしてホームズシリーズ「バスカビル家の犬」で復活させます。このファンとコナン・ドイルのやりとりの一件は、今や誰もが知る伝説となっています。

ストーリー的には、短編「空き家の怪事件」でライヘンバッハでの終止符を打った一件をライヘンバッハの真実とその後の空白の期間をうまく構成して助手のワトスンの元に戻ったホームズが描かれています。

1930年、7月7日、シャーロック・ホームズの冒険譚を書き続けたコナン・ドイルは、サセックスのウィンドルシャムで生涯を閉じました。