佐藤義和氏がテレビという仕事に携わって30年以上という長い月日が流れました。
フジテレビに入社以来、数多くのヒット番組を制作しブームの火付け役として邁進 !
そのヒットを ただ、なんとなく流行や直感という安易な考えで 作っていたわけではありません。佐藤義和氏は、世の中に落ちているキーワードを拾い 上げたり、 マーケティングにかけてこれなら“イケる”と確信して初めてゴーという 形で数々の大ヒット番組を作り上げておられます。
めちゃイケとの関係は、『めちゃX2イケてる!』の前身番組 「めちゃ×2モテたいッ!」の
超助っ人プロデューサーとして自分の経験を注ぎ込んで、
それは1996年10月19日、「めちゃ×2モテたいッ!」が
ゴールデン(今現在の時間帯)進出し改題、放送スタートし『めちゃX2イケてる!』まで続きます。
今現在の総監督である片岡飛鳥氏も当時から佐藤義和氏の影響(笑いの真髄)を受け、今日までのめちゃイケにいたっています。番組制作から遠い部署に移った佐藤義和しは、片岡飛鳥総監督やめちゃイケスタッフたっての希望で、『爆裂お父さん』に登場しました。『爆裂お父さん』は皆さんご存知の通り、めちゃイケのベスト3に入るほどの大人気コーナーです。
そのコーナー『爆裂お父さん』2000年05月20日第19回目「狂犬が吠えまくった日」に、当時デビュー仕立ての『Z−1』上戸彩、根食真実、西脇愛美、藤谷舞の4人で結成の特別出演:佐藤義和最後に出てきて回されました。(この時上戸彩だけは回されていなかったのか、カットされたのかジャイアントスイングをかけられていません)。
爆裂お父さんもいつものように狂犬地味ではなくかしこまって佐藤義和氏がぺこぺこするぐらい(これは尊敬とどれほど大物かという証明)でした。ジャイアントスイングをかけるときも爆裂お父さんは、躊躇し、「できなませんよ!」と。
それでもまわしてくれと佐藤義和さん、岡村などからは「さとちゃん、死んじゃうかもしれない!?」と心配の声も上がり、それでも佐藤義和さんZ-1のためにジャイアントスイングを受けました。受けた後有難うございましたと爆裂お父さん:加藤浩次、佐藤義和氏お互いに土下座。
その時、当時いろいろあって(『笑っていいとも』に極楽とんぼ:加藤浩次、山本圭一がレギュラー主演でタモリさんとの会話がしっくりこなかったことなど)悩んでいた加藤浩次に「ドラマ、めちゃイケもブレイクしてるよ!」と加藤浩次の肩をたたきながら励ましていました。
しかし、それで『爆裂お父さん』のコーナーは、終わりませんでした・・・
落ちもなく終わるかと思ったら佐藤義和さんポックリ逝ってしまいました(コント上で)
さすが伝説を作った人は、最後にしっかりボケを取る・・・
なんて空気がよめるんだぁ〜!!!
と感動しました(大爆笑です)。