ディズニーアニメーションの始まり
この記事の内容は徳間書店さんから発売されている徳間康快氏追悼記念出版ディズニーアニメーション『生命(いのち)を吹き込む魔法』(The Illusion of Life)著者はディズニーで有名な”ナイン・オールド・メン”のメンバーであるフランク・トーマス氏とオーリー・ジョンストン氏の日本語版を参考にさせて頂いております。
もともとウォルト・ディズニー氏は、アニメーションに著しく興味は持っているわけではあませんでした。アニメーション制作会社で働き始めたのも兄弟である兄ロイ・ディズニー氏の影響と言われています。
しかし、ウォルト氏は、生まれつき行動力・実行力があり、そして常に物事(アイデア)について真剣に考えるアイデアマンでした。アニメーションという当時はちっぽけなメディアに入ったのもそのアニメーションの世界を覆してやろうとする根性と探究心です。それはライバルなど何者も寄せ付けないほどのアニメーションとその印象の強く、魅力的なキャラクター(ミッキー・マウスなど)を世に生み出し、アニメーションと言うメディア自体を根底から覆すほどの存在にした先駆者として君臨します。ウォルト氏のアイデアで生まれたディズニーランドは、何度、行っても、行くたびに何か新しい発見があります。それはウォルト・ディズニー氏のメッセージではないでしょか・・・
みなさんはどうですか?
- 1923年:ウォルト・ディズニー氏、アメリカのカンザスシティーのアニメーション映画会社らフォグラム社に勤めていました。そのフォグラム社(イリノイ州、カンザスシティー)で『アリスの不思議の国』を制作します。
その年の8月に映画の本場ハリウッドへ持ち込みます。上映映画劇場と制作した『アリスの不思議の国』をシリーズ化して契約を結ぶ。このときにウォルト・ディズニー氏の兄、ロイ・ディズニー氏と会社を設立しました。ディズニーアニメーションスタジオの誕生です。
『アリスの不思議の国』は今でも不動の人気を誇っています。しかし、カンザスシティーにいたとき『アリスの不思議の国』全く注目もされませんでした。
- 長期契約を結びシリーズ化として出したアリスは、すべてがアニメーションではなく実写の女の子が漫画(アニメーションキャラクター)の動物と共演するシリーズ、つまり実写とアニメの混ざった映画でした。
- 1924年 ウォルト・ディズニー氏がカンザスシティーにいた頃からの友人アブ・アイワークス氏、カール・ストーリング氏、バート・ルイス氏がスタジオに加わる。月一本のペースで映画を制作を開始します。『アリスの不思議の国』シリーズの宣伝ポスターをスタジオの主力アニメーターでウォルト・ディズニーのパートナーのアブ・アイワークス氏が担当します。
- 1925年 『アリスの不思議の国』シリーズの成功でスタジオのスタッフの人数が計12名に増えます。『アリスの不思議の国』の成功で新たな契約により、3週間ごとに1本のペースでアニメーションを制作。スタジオも大きくするため、ハリフッドの東はずれにあるハイペリオン通りにウォルト氏が土地を購入し、新しいスタジオの建設が開始されます。
